歩き出せば、また未来へ、近づく
久し振り。
前回の記事でムッシュの曲について書いて、1年放置していたら、ムッシュが亡くなられました。何とも、世は無常なものと思います。
1984年のサンライズのアニメーション「銀河漂流バイファム」は、その翌年の夏休みに再放送されて、私はそれで見たのですが、あっという間にその世界に入り込んでしまいました。ガンダムがとてもハードな戦場を描いた物語であったのに比べ、バイファムはもっと年齢の低い、それでも自分たちで何とか出来るくらいの子供たちの物語でした。それもよかったけれど、主人公が13人で、夫々が活躍するお話が必ずあったのが画期的でしたね。自分や、自分の好きな人を、夫々に重ね合わせることが出来て、彼らの物語はまるで自分の物語でした。
御他聞に漏れず、私はその中のカチュア・ピアスンに恋をしていたわけですが、そんな淡い幻想の恋物語を思い出す一曲。
蒸し暑く気怠い夏の夜、AMラジオから録音したテープで聞いた、ノイズ混じりのこの曲は、今聞いてもその当時の肌触りまで思い出せる、記憶の一角に溶け込んだ曲です。
「初めて知る、戸惑いさえ恐れず、君は、ス・テ・キ」
よきとも
1970年代は私が幼い日でした。これと思って記憶している歌は、その頃のトップアイドルというような人たち、ピンクレディとかジュリーとか、そんな感じで、でもその他にその時代にヘヴィに流れていた曲を、メロディや歌詞の一部だけ憶えていたりします。
そんな曲は1990年代や2000年代になって、古い曲が容易に捜せるようになってから、あるいは放送で流れるようになってから再会しています。あ、これだったんだ、っていう感覚、それは長く眠っていたどこか古い記憶の回路に突然信号が流れる瞬間です。
そんな曲は、実は結構沢山あって、今、youtubeなんかで捜してみると後から後から見つかります。本当は著作権的にはよくないんだろうけれど、懐かしい気持ちに浸ることができて嬉しいのです。
そんな歌を一曲。
この歌に出てくる学生、学生服に染み込んだ男の匂いを振りまくようなタイプの人なんて殆ど見たことはないけれど、それでも懐かしく思い出します。実はその記憶は田渕由美子先生の乙女ちっく漫画に出てくる「むさい」タイプの苦学生だったりします。
「フランス窓便り」の2つめのお話、欧見苗子さんに惚れちゃった樹原くん。真っ黒でヒゲもじゃで不器用で貧乏だけど、誠実な男の子。何か、彼のことを思い出しますね。
田淵由美子先生の乙女ちっく漫画については語り出したら止まらないので、また次の機会に。
なごりゆき
歌が好きなのは、何時頃からのことかな、と思います。好きって言ったって趣味として歌うと言う程ではないし、人並みだとも思うのだけれど。それでも、その歌が好きになったのは何故だったのかな、と考えてみて、思い出せる切掛けみたいなものは、中学校の音楽の時間でした。
私が通っていた中学校は奈良市の新興住宅地に数年前にできたばかりのもので、私が8期生でした。周りの大人たち言ふやう、この中学校は新しいから創設時に集めたよい先生がまだ沢山残っていらっしゃる、とのことでした。実際、比較的個性的ながら後から考えると有難い御指導だったなあ、と思う先生が多くいらっしゃいました。本題の音楽ですが、音楽科てふものにも一応教科書がありますよね。私たちの音楽の先生はそんなものには全く目もくれず、ひたすら歌を歌う授業をされました。
合唱が主でしたが、独唱もあったかな。憶えているのはGeorg Friedrich Händel « Oratorio Messiah » より « Coro: Halleluja »、世に名高いハレルヤコーラスと、Ludwig van Beethoven « Sinfonie Nr. 9 d-moll op. 125 » から第4楽章の合唱部分、歓喜の歌でした。
ハレルヤコーラスは英語が欽定訳聖書の言葉で難しいので日本語訳詩で、原曲が4部合唱なのが流石に中学生には無理ということで2部合唱でした。それでも随分と歌ったおかげで、今でも後にヘンデリアンになった時に憶えた英語詩で歌えます。
歓喜の歌はドイツ語で歌いました。これは抜粋で、やはり2部合唱にして。特に意味も判らず、綺麗な発音だったかどうかも判りませんでしたけれど、それでも今でも歌えます。
こんな御指導の合間、授業の終わり頃に空いた時間に、じゃあ歌いたい曲をおっしゃいよ、伴奏するからみんなで歌いましょう、なんていうことが多くありました。当時 « 中学生の愛唱歌集 » というような冊子が副読本としてあって、今でもあるのかな、そこから歌いたい曲を選んで歌うわけです。そんな御指導の賜物で、滅多にありませんが当時の者どもで集まれば、ハレルヤが歌えたり歓喜の歌が歌えたりするやんなあ、などと語ることができます。
これが、私の歌が好きな理由、切掛け、かな、なんて思います。
さてその歌集、古い唱歌から1970年代の愛唱歌、宇宙戦艦ヤマトの主題歌なども載っていましたけれども、編集の時期と恐らく編集者の御趣味で、1960〜1970年代のフォークが沢山載っていました。それらが今でも好きな歌の中核の一つとなっています。
それではその中から一曲。イルカ « なごり雪 »。
この曲も学級のみんなで何度も何度も歌いました。もうすぐ、そんな季節ですね。
すきなうた
小さい頃から、と言っても中学生位かな、と思いますけど、そんな頃から何故かカントリー音楽にとても惹かれるところがあって。色々聴いてみているわけではないのですけれど、バンジョーを爪弾く音色とか、ちょっと錆びた感じの声色とかに、涙が出るような郷愁を感じてきました。
サンフランシスコを入口とする西海岸文化は1960年代から世界を席捲していて、多分その残照が私の小さな頃にもあったのでしょうね。砂漠のハイウェイの誰もいないガススタンドの、その透明のガラスに囲まれた中から、やっぱり誰もいない、光ばかりがギラギラとどこまでも溢れている、そんな景色を、見たこともないのに懐かしく思っていました。アメリカはサンフランシスコに一度行ったきりで、今なお西部なんか行ったことがなくって、そんな砂漠地帯に縁もゆかりもないのだけれど、何故なんだろうな、って思っています。
そんな好きな歌の一つが John Denver « Take me home, Country roads »。日本では、と言うか私たちの世代では「耳をすませば」の主題歌として有名ですね。あの映画は1995年の作品ですから、この曲が有名になってから随分経っていて、私が初めて聴いたのもこの映画ではなかったと思います。でも何時何処で出会ったのかは憶えていません。John Denverという名前も、近年になって知ったのだもの。
陽気で、でもちょっと哀愁を帯びていて、激しい感情やアクションとは無縁だけれど、何度も何度も堪能したい歌と景色。一度は西部の砂漠の中のハイウェイを走ってみたいと思います。
Prologue
間も無く開幕いたします。お待ちください。